「武士の家計簿」・・貨幣価値と収入・・2010/03/02 22:42

時代劇を見ていると、江戸時代の貨幣価値はどれ位?いったい武士の家計は?と思うことが多々ありあます。
今回「武士の家計簿」を読んで、「そんな仕組みだったんだ・・・。」と改めて、この時代の家政を知りました。著者磯田道史氏は、大学の授業用テキストにと、この本をまとめられたと書かれていましたので、わりかし簡単に読める新書です。(数字に弱い私でも・・。)

今回は江戸時代の貨幣価値と武士の収入について・・・

江戸時代は、農業生産高に応じた年貢米を賦課する石高制を基礎とする社会で、武士は建前上は米で収入を得ていました。
「100石取り」とは玄米が100石収穫出来る土地を与えられたことを意味するが、実際は、本人が直接そこから年貢を徴収するのではなく、米は藩の米蔵へ一度収められ、年2回に分けて藩から藩士に支給された。
その時の支給高は、「武士の家計簿」によると、知行高の32.1%程度だった様で、加賀藩の御算用者(会計係り)の猪山家は、70石の知行を与えられて、実質収入は22.5石(玄米22石+銀34.3匁)と書かれている。

この時代は、米の収穫量を経済基盤とする体制ながらも、支配階級である武士は非生産階級であるから商品貨幣経済にも依存せざるを得ないので、扶持米を時価売却して貨幣を家計に算入していた。つまり家政の状態は、米で収入を得て支出には貨幣(銭)を必要とするので、米相場に左右された訳である。

通貨は、江戸を中心とする東日本は金本位で金貨を、大坂を中心とする西日本は銀本位で銀貨を、取引の決済手段として使用していた。全国共通で一般的に流通する貨幣は、最小単位の銭○文ということになるので、米や金貨銀貨を銭に兌換する必要が生じる。加賀藩猪山家は銀本位経済圏内にあるが、江戸詰めになると金本位経済圏での活動となるために、そこにまた両替行為が生じるのである。
現代において海外に行く時、両替行為を行うが、何処で幾らの兌換比率で両替するかによって手元金額が違ってくるのは承知している。
この頃は、現地にてクレジットカードを利用して、現地通貨をキャッシングすることが効率が良いとされている。これも、月の何日にキャッシングするかで、借り入れ日数の短縮が可能になったりする。
話しが横道にそれたが、この様な両替行為によっても、武士社会は貨幣経済に大きく依存せざるを得ず、この時代の基盤である武士支配の幕藩体制の解体へと進んで行く結果となった。

さて、現代に換算すると・・・、
1石=150キロなので米価で換算するか、それとも、当時の賃金水準を考慮して江戸時代の貨幣価値をはじくかの問題が生じる。

「武士の家計簿」では、猪山家の総年収は、米換算で51.388石(信之22.5石直之28.888石)約7.7トンとなるので、現在米価で計算すると200万~250万円程度とあまりにも低くなってしまうとある。(1石=150Kg 現在60Kg=16,000円程度)
そこで、著者は、江戸後期水野忠邦の天保の改革後、天保14年(1843)頃の金銭価値を、当時の賃金価値から算出して、金1両=銀75匁=30万円・銀1匁=4000円として、猪山家の年収を1230万円(信之530万円直之700万円)と推測している。
要職にあると「拝領金(ボーナス)」が盆と暮に定期支給されるそうだが、それも含めた算出と記載されている。

そして支出は、武士の体面維持の為に行わなくてはならない年中行事と儀礼に始まり、江戸詰めとなると、国許と江戸の二重生活となり嵩むことになる。
著者が入手した古文書によって、猪山家は、天保13年には収入の2倍の借金があったことがわかった。それをどの様に返済し、幕末維新の時代をどの様に乗り越えたかを詳細に記載してあったことが、「武士の家計簿」を生みだし、その家族の物語が映画化される事となったのである。

「武士の家計簿」を読む・・2010/02/06 23:50

「武士の家計簿・・加賀藩御算用者の幕末維新・・」著者磯田道史(新潮新書)を読みました。
数年前にNHHの番組で採り上げた時に、触りだけを見ていて興味を持っていたのですが、先日、堺雅人・仲間由紀恵主演で映画化の記事を読んで、すぐにこの本を買いに行きました。 

この本は、加賀藩の御算用者猪山直之なる武士が残した家計の古文書をもとに書かれた、江戸時代末期から明治期の、猪山家の経済状況とそこから知れる当時の武士の生活が書かれた興味深い内容です。

まずこの本を手にしてページを開くと、著者がこの古文書を入手した時の驚きと喜びが「はしがき」の文章から想像できます。神田神保町の地下鉄の階段を駆け上がり、目的の古書店に急ぐ著者の姿が浮かんでくるようです。
著者は手に入れた古文章を「解剖」すると書いていますが、解剖医の如く1枚1枚丁寧に扱い解読して、そこから江戸時代の武士の姿を解読してくれたのです。

この古文書は1842(天保13)年~1879(明治12)までの加賀藩御算用者猪山家の記録で、年収の二倍の借金をどの様な「不退転の決意」で処理したかを詳細に記録していたのです。
映画では、この記録を残した直之を堺雅人さんが演じ、その妻を仲間由紀絵さんが演じて、家族一丸となって借金を返済して家を守り存続させて行く家族の姿が見られるのでしょう。

「身分利益」=「身分収入」-「身分費用」
「武士身分として格式を保つために支出を強いられる費用」=「身分費用」
「その身分であることにより得られる収入や利益」=「身分利益」
江戸時代の武士は、体面を保つ為に「身分費用」のなかで「祝儀交際費の支出」が大きく占め、このために借財が嵩み、一方で、収入は米価変動と貨幣経済の発展で減収、この狭間で家計は困窮状態となったのです。
娘の祝い膳は絵に描いた鯛ですませ、嫡子の祝い膳は親類縁者大勢に尾頭付きの鯛を振舞う。
当時の武士の生活が目に見えて興味の尽きない内容です。
この続きはまた書きたいと思います。

2011年 大河再び姫もの・・・2009/12/17 22:42

江~姫たちの戦国
近頃、アクセス解析の検索ワードに「浅井江」関係が頻繁です。
6月頃に「戦国美麗姫図鑑」について書いたから・・と思っていたら、
先日、書店でその理由が判明しました。
来年の「龍馬伝」の後、再来年の2011年の大河の主人公に、浅井三姉妹の末っ子江与が抜擢されたんですね。

「江~姫たちの戦国」で脚本家田淵久美子さんのオリジナル作品。

大奥を終焉させた天障院篤姫を書いて(原作・・宮尾登美子著)、今度は大奥を始めた徳川2代将軍秀忠の正室お江与を書きたくなったとか・・。
篤姫で多少視聴率が得られたから、二匹目の○○をと、日本放送協会さん安易な考えでは・・。
幕末(篤姫)戦国(天地人)幕末(竜馬)またまた戦国の繰り返しですか。日本の歴史には、ドラマに取り上げたい人材や時代がもっと沢山あると思うけど・・。でも問題は視聴率だから難しいかな~。

さてさて主人公のお江与さん、あの淀君の妹で、2度の落城を経験し3度の結婚をさせられた女性です。
3度目の結婚が徳川2代将軍となる秀忠で、6歳年上の姉さん女房でした。秀忠との間に豊臣秀頼に嫁ぐ千姫、後水尾天皇の中宮となる和子、3代将軍家光と、2男5女をもうけました。
長男竹千代の乳母お福(春日局)との確執や大奥を創設したり・・。
過酷な少女時代から戦国の世を生き抜くどの様な女性の生涯が一年間で描かれるのでしょうか・・。
でもきっと、出演陣が発表になった時点で・・・、がっかりするだろうな。

再来年まで「坂の上の雲」は続くし・・。制作費が削られる運命!
今日はここまで・・。

12月8日・・・2009/12/08 20:12

夜の紅葉
68年前(1941年)の今日、日本はアメリカと戦争を始めた日なんですよね。
ハワイオアフ島真珠湾のアメリカ海軍太平洋艦隊基地に奇襲攻撃を仕掛けて、太平洋戦争が開戦した日だと思い出した人はどれくらい居るんでしょうか・・。

私も、昨晩特集番組を見ていて、「あ、明日12月8日だ・・。トラ・トラ・トラ
真珠湾だ・・。」と思い出したしだいですが。
以前、TVで日本がアメリカと戦争をした事実を知らない日本の若者が大勢居る事を知り愕然となりました。
そんな人達は、今、鳩山政権下で問題となっている沖縄の基地についても、「何故沖縄に米軍基地が存在するのか?」その理由すら知らないのでしょうね。
広島や長崎に、何処の誰が如何して原爆を投下したと思っているのでしょうか?
原爆の悲惨な事実すら知らないのかも知れない・・。

もっと自分の国の歴史について知ろうとする努力をしなくてはいけないのではないでしょうか。
それが、古代や中世であれ、今歴女と言われる若い女性が憧れる戦国の美形武将や幕末の薩長の若者であれ、何処からでもいいから、日本の歩んで来た過去に興味を持って、そして、それが今に繋がっている事実を掴んで欲しい。
今ちょうど「坂の上の雲」が話題になっているのでいいチャンスかもしれない・・・。
あの内容に興味を持てたら、日本が明治の黎明期秋山兄弟を代表として、いかに列強と肩を並べる国力を持ち、大国ロシアとの日露戦争で勝利し、その勝利によって世界における日本の立場がどのように変化し、大陸進出へそして太平洋戦争へと歩んでしまったかを知って欲しいと思う。

半藤一利氏が「先の大戦は物語ではない。事実を語って行かなくてはいけない。」と
言われたが、まだ、物語として語るには時間が浅すぎるのです。

私も、もっと「その時」を知る努力を繰り返したいと思い返した日でした。

「大河 天地人」・・2009/11/25 23:56

何時以来かわからないくらい、久振りに「大河 天地人」を初回から最終回まで見ました。
去年の「篤姫」は時々見ていましたが、今回は、途中見られない時は録画予約してまで見てしまいました。
「大河」を一年間通して視聴すると52回だったのに、今年は47回で最終回、そして最終回は時間延長の75分でした。
来週は以前から大層時間を掛けて制作中の「坂の上の雲」を放送するからでしょう。
「坂の上の雲」の制作費と「天地人」の制作費、雲泥の差・・・。
そう思うのは私だけでしょうかね。

それはさて置き、何故今回は全編を視聴したのと言うと、上杉景勝と直江兼続の生まれた上田の庄が、旦那の生まれた地と山隔てた隣同士で、「いつも通っているあそこここが・・、そうなんだ。」となんとなく毎回見てしまったのです。
謙信の後、上杉家が米沢で存続したのは承知していましたが、直江兼続と言う人物については良くは知りませんでした。
もう、何年も前に米沢の上杉神社に行った事はありますが、印象に残っていませんでした。
今考えるとその時、越後湯沢から奥只見・会津若松・喜多方・米沢への道を車で走りましたが、偶然にもこれは、景勝や兼続が国替えでたどった道だった・・。

今回全編を見て・・、配役云々はやめておきましょう。大年増の繰言ですから。
でも、脚本はなんとかなりませんか。
「愛と義」の物語が最後は、こじ付けで終わった様で・・・。

家康をあそこまで敵役にして、兼続が淀君に「豊臣の義を天下にお示し下さい!」と、
豊臣に特に淀君に「義」がある??
家康が最後に兼続に、「秀忠に父の愛を・・、云々。」 ありえない!
昨今、「歴女」なる女子は戦国武将がお好きだとか・・。
それならだ、石田三成・真田幸村や伊達政宗をもう少し丁寧に表現して欲しいですね。
演じる若い役者に左右されることなく。
時代考証を無視した演出は考えものだと思いますが。
それと、かりにも「大河」たるもの、大坂城落城で千姫を幸村と兼続の連携プレーで井戸の中から救出し、その千姫が「おじじ様なんか嫌い!」はないでしょう。
これこそ無理やり「愛と義」のこじ付けに見えてしまったのは、私だけですか。
救いは景勝の思い、上杉家存続ひいては家臣への寡黙な静かな「愛」の表現だった様に思っています。

それと最後に、あの時代に新幹線でもあるかの様に兼続の空間移動・・・。
直江兼続について興味を持てたことは事実なので、今後機会があったらさらにこの人物についてもう少し深く知りたいとは思っています。

まあ来年の「龍馬伝」は見ないかな・・。
またまた土佐や長州薩摩大好き・・が増える・・・。

雲洞庵・・2009/10/25 23:28

「こんなところへきとうなかった・・」
雲洞庵は、樹齢300年の杉木立に囲まれた山裾にある曹洞宗の寺院です。

幼少の景勝と与六景続が共に勉学に励んだ場所で、
幼い与六が「こんなところにきとうなかった・・」と泣いた場所です。

本堂までの杉林の中、石畳が続きますが、この石畳の下に法華経を刻んだ石が埋めてあって、この石畳みを踏みしめて参拝すると御利益を得られると言われています。
そこから「雲洞庵の土踏んだか」という言葉が生まれたそうで、
私もこの石畳を踏みしめて本堂へ向ました。
石畳の横には、石仏が何体も並んで、杉の木立の間から差し込む秋の陽に、
かすかにほほえんで見えました。

「天地人」ブームで観光バスラッシュ・・
観光バスが通るには道は細く、駐車場は狭いため、周囲の道路脇は駐車場に・・・。
周囲の農家の方々にとっては大迷惑。
雲洞庵の杉の古木も驚いていることでしょう。

「大河の力」で観光集客があって、周囲の温泉も多少は恩恵に預かったのでしょうか。経済効果は・・・。

龍澤寺・・2009/10/25 22:39

景勝生誕の地
今日に上田庄は秋の気持ちの良い一日でした。

帰りの渋滞を考慮して今回は龍澤寺と雲洞庵の2カ所を訪れることにしました。

龍澤寺は、上杉景勝生誕の地樺沢城跡と隣接していました。

景勝の母仙桃院が我が子の武運長久を祈願して奉納した厨子に納まった文殊菩薩が、秘仏となっていましたが、今年の「天地人」ブームで
公開されていました。
「どうぞお写真をおとり下さい・・」と・・なんと素朴な・・。

厨子の大きさは45cm程度でその中に色彩の残る文殊菩薩が納まったいました。
仙桃院は長子をなくし次男景勝の武運長久を祈願したそうです。

時代劇大~好き少女の思い・・・2009/09/17 23:00

結束信二「新選組血風録シナリオ集」
昔、TVで見た番組でもう一度見てみたい番組はありますか?
誰にでも思いでの番組はあるかと思います。

私は子供の頃から、時代劇が大~好きでした。
どうして好きだったのかな・・と思い起こしても決定的な理由はわかりません。
おばあちゃん子だったから、父が江戸っ子だったから、我が家の生活様式は純和風だったから・・・。
「女の子なのにチャンバラ好きで困った子!」の声にもめげずにTVで時代劇を見続け、おまけに冬などは学校から帰って来ると祖母が仕立ててくれたウールの着物に綿入れ半纏を着込で時代劇に見入っていました。
「タケダ・タケダ・タケダ・・」で始まる「隠密剣士」、そしてNHK大河・・・。日曜日の夜8時にはTVの前で正座して見ていました。その頃TVの置いてあった場所が、八畳の和室だったので。

時系列に並べてみると・・(放送年を調べるのに、ネットのデータベースは本当に便利です。)
1960年  白馬童子・琴姫七変化
62年  隠密剣士
  64年  里見八犬伝・赤穂浪士(NHK)・徳川家康
  65年  太閤記(NHK)・新選組血風録
  66年  源義経(NHK)・真田幸村
  67年  三姉妹(NHK)
  68年  竜馬がゆく(NHK)
  69年  天と地と(NHK)
  70年  燃えよ剣
  71年  春の坂道(NHK)
  74年  勝海舟(NHK)
羅列してみるとどれもこれも懐かしい場面が浮かんできます。これ以外にも「三匹の侍」や捕り物シリーズを楽しんでいましたから、ちゃんと勉強していたかどうかはご想像にお任せします。日本の歴史については徹底的に勉強した事は間違えのない事実です。

私にとって、特筆すべき作品は65年の「太閤記」と「新選組血風録」でしょう。
前年からの山岡荘八原作「徳川家康」を見て、そして吉川英治原作「太閤記」で織田信長に出会いました。
司馬遼太郎原作「新選組血風録」で土方歳三・沖田総司に、そして司馬作品を次々と読み司馬ワールドに入り込みました。

当時は「録画」などというすべはなかったので、土曜日の再放送の時にオープンリールのデッキで音声のみを録音した思い出があります。音だけを聞いて画面を想像するのです。
そのテープもいつの間にか無くなってしまいました。

「太閤記」はNHKに「本能寺の変」1話だけ残存していて、先日CATVの時代劇専門CHで放送し、高橋幸治演じる信長の殿に40数年振りに再会しました。嬉しかったです・・。

そして、今週から伝説の作品「新選組血風録」が2007年に続いて再び放送されているのです。今でも初めて視聴する者を虜にしてしまう全26話のモノクロ作品です。
大勢の新選組や幕末研究者達の出発点となったと言っても過言ではないほどに、根強い支持を得ている伝説の作品で、後年、有志ファンによってフイルム上映会が20年近くも続けられていたそうです。
残念ながら、今のように情報が多くない時代でしたので、私は知るすべもなく参加した事はありません。

司馬遼太郎が、栗塚旭演じる土方を見て「これぞ土方歳三」と賞賛し、島田順司演じる沖田総司もまた見る者に「総司」への思いを募らせたのでした。
2004年のNKH「新選組」の脚本を書いた三谷幸喜もまた、この作品への思いがあって、栗塚旭を土方の長兄役で、島田順司を病身の沖田を匿う植木屋役で登場させてのだと聞いています。

どの作品も懐かしいその時の思い出が浮かびます。

作家司馬遼太郎との出会い、そして幕末を駆け抜けた若者達との出会い、
それらを全力で演じた彼らとの出会い、すべてが素敵な思い出であり
今もこれからも続く思い・・・・・。

勝・西郷の会見の地・・2009/09/11 16:24

江戸開城勝・西郷会見の地?
昨日の池上本門寺松濤園の一画に、勝海舟・西郷隆盛会見の碑がありました・・・。

薩長肥連合の東征軍の江戸城総攻撃目前に、江戸城明け渡しと徳川慶喜の江戸退去が話し合われ、江戸の町を灰に帰さずにすんだ、東征軍総参謀西郷と幕府陸軍総裁勝との会見は、慶応4年(1868)3月13日と14日両日行われ、
その場所については、13日が高輪の薩摩藩邸、14日が田町の薩摩藩蔵屋敷と記されています。

JR田町駅の改札を出ると、壁のレリーフが会見の地である事を思い出させ、国道脇には会見の碑があります。

ところが、本門寺の松濤園内にあった四阿で両者が江戸城明け渡しの会見をしたので、その場所として碑が建てられていました。
それも東京都史跡指定と・・・。(史跡リストを検索しましたが記載されていませんでした。)
本門寺は東征軍の陣営が置かれた場所とありました。

高輪・田町の会見場所で江戸城明け渡しの話し合いが行われた事は間違えのない事だと思うのですが、池上のこの庭の四阿で両者が会った史実があるとすれば、それは江戸城明け渡し後の出会いと考えた方が良いように思いますが、史跡指定を受けているので、資料的根拠があるのでしょうか。

後日の勝と西郷の交流を考慮すると、ふたり静かに池を眺め語り合ったと思いたいのですが、それは江戸開城後の西郷と勝の多忙極まる毎日では難しいかった様にも思えます。

勝は池上に近い洗足池付近が気に入って晩年、池の畔に別邸を持ちその地に眠る事を希望したそうですから、池上のこの庭も散策したかもしれませんね。

戦国美麗姫図鑑2009/06/30 22:01

戦国美麗姫図鑑
昨日 書店へ出かけました。
目的の本以外にいつもの歴史書コーナーへ・・・

この書店の歴史書コーナーはちょっと興味を引く本が並んでいるので
いつも楽しみにしています。
そしたら、そしたら・・・コミックコーナーの本が一冊まぎれているのかと思い
手にしたのが↑の本です。

内容は「強く、儚く、美しい」戦国時代の姫達の図鑑で
そう、戦国の姫君100人の由緒血統(プロフィール)が
みごとなイラスト付きで紹介されているのです。
決してコミック誌やゲーム解説本ではなく、第一級資料に基づいて
SENGOKU PRINCESSESを紹介しています。

戦国時代の姫達がこんな形で紹介されていることに驚きました。
それぞれの姫の特徴を一言で表現してキャッチフレーズが付いています。
織田 市・・姫の機転で嫁ぎ先は滅亡
浅井茶々・・不安神経症の女帝
浅井江与・・息子偏愛の野心家
田村愛・・独眼竜を愛しためんこい姫
本田小松・・真田家 愛の灯火
諏訪御料人・・戦国の非情に翻弄された姫

なかなか楽しめる内容です・・・
日本の歴史を知る取っ掛かりになればこんな本も歓迎ですね。
当の姫君たちは驚いているでしょうね・・・

戦国美麗図鑑 PHP研究所 1200円 2006/6/26発行

(出版ほやほやの本でした・・・)