「少年少女歴史小説・真田幸村」 ― 2009/06/11 23:04

池波正太郎原作「真田太平記」1985年NHK制作作品を連日録画中・・
天下分け目の戦いである関が原合戦に、真田昌幸・幸村父子は西軍に、昌幸長子である信幸は東軍にくみした。
西軍の敗北により昌幸・幸村父子は、紀州高野山のふもと九度山へ閉門蟄居となった。その後家康の免罪は得られず、幽居11年目に父昌幸は病死し、
14年目に徳川・豊臣の衝突が避けられない事態となった時、幸村は九度山を出奔し大坂に加担する道を選ぶのだった。
信州の小領主真田氏が、武田・織田・北条・徳川・上杉・豊臣と主家を渡り歩いたのは、勢力情勢の読みを誤らない情報網を持ち、戦国の時代を生き抜くための巧みな処世術であった。
ところが、関が原では真田昌幸は東軍から西軍へ寝返り、西軍の敗北でその後の人生を隠遁の身としてしまった。
父と行動を共にした幸村は、壮年の盛りを九度山で過ごさねばならなかった。
江戸と大坂の手切れの時、大坂に請われた幸村が山里で朽ちるよりは武士としての華を咲かせる道を選んだ。
幸村が大坂に加担したのは、豊臣への恩や義のためではなく己が山里で忘れ去られるより、その道が死出への道であっても武将幸村の意地と誇りが行動となって現れたのだと思う。
私が真田幸村に出会ったのは、1966(昭和41)年の頃の様だ・・・。
今でも書棚に「少年少女歴史小説・真田幸村」が2冊残っていて、出版年が1965年と
1966年である。
写真は1966年出版本で「少年少女歴史小説・真田幸村 落城に立つ軍師・・」で、表紙の幸村の絵姿が、当時TVで放送していた中村錦之介演じる幸村の姿なのである。
当時錦之介演じる幸村の凛々しい姿に夢中になっていた朧な記憶を、この本の表紙が思い出させてくれるのです。
草刈正雄演じる幸村も悪くはないが・・1985年放送の頃は何かと多忙な時期だったので全編を見ていなかった様で・・。
1965年出版本では、幸村が大坂夏の陣で散るのではなく秀頼と共に薩摩に落ちてそこで往生する義経伝説ならぬ幸村伝説で〆られていました。(今回再読して・・)
小学○年の頃に出合った中村錦之介の幸村が印象に残っていてこの本は捨てられずに今でも書棚に残っているのです・・・。
今は池波正太郎原作「真田太平記」に手を出そうかどうしようか・・。
天下分け目の戦いである関が原合戦に、真田昌幸・幸村父子は西軍に、昌幸長子である信幸は東軍にくみした。
西軍の敗北により昌幸・幸村父子は、紀州高野山のふもと九度山へ閉門蟄居となった。その後家康の免罪は得られず、幽居11年目に父昌幸は病死し、
14年目に徳川・豊臣の衝突が避けられない事態となった時、幸村は九度山を出奔し大坂に加担する道を選ぶのだった。
信州の小領主真田氏が、武田・織田・北条・徳川・上杉・豊臣と主家を渡り歩いたのは、勢力情勢の読みを誤らない情報網を持ち、戦国の時代を生き抜くための巧みな処世術であった。
ところが、関が原では真田昌幸は東軍から西軍へ寝返り、西軍の敗北でその後の人生を隠遁の身としてしまった。
父と行動を共にした幸村は、壮年の盛りを九度山で過ごさねばならなかった。
江戸と大坂の手切れの時、大坂に請われた幸村が山里で朽ちるよりは武士としての華を咲かせる道を選んだ。
幸村が大坂に加担したのは、豊臣への恩や義のためではなく己が山里で忘れ去られるより、その道が死出への道であっても武将幸村の意地と誇りが行動となって現れたのだと思う。
私が真田幸村に出会ったのは、1966(昭和41)年の頃の様だ・・・。
今でも書棚に「少年少女歴史小説・真田幸村」が2冊残っていて、出版年が1965年と
1966年である。
写真は1966年出版本で「少年少女歴史小説・真田幸村 落城に立つ軍師・・」で、表紙の幸村の絵姿が、当時TVで放送していた中村錦之介演じる幸村の姿なのである。
当時錦之介演じる幸村の凛々しい姿に夢中になっていた朧な記憶を、この本の表紙が思い出させてくれるのです。
草刈正雄演じる幸村も悪くはないが・・1985年放送の頃は何かと多忙な時期だったので全編を見ていなかった様で・・。
1965年出版本では、幸村が大坂夏の陣で散るのではなく秀頼と共に薩摩に落ちてそこで往生する義経伝説ならぬ幸村伝説で〆られていました。(今回再読して・・)
小学○年の頃に出合った中村錦之介の幸村が印象に残っていてこの本は捨てられずに今でも書棚に残っているのです・・・。
今は池波正太郎原作「真田太平記」に手を出そうかどうしようか・・。
最近のコメント