足柄の土肥の出湯・・・2010/07/26 22:00

先週、湯河原温泉は
「あしかり(足柄)の土肥の河内にい出る湯の・・・」と万葉集に詠まれている
古~い温泉ですと紹介しましたが、この歌の意味を調べてみました。

「古事記」や「日本書記」そして「風土記」にも温泉の記載があり、
これらの文献によると、日本三古湯とは、伊予の湯 (四国松山道後温泉)、牟婁(むろ)の湯(南紀白浜温泉)、有馬の湯(兵庫有馬温泉)を呼ぶそうです。

江戸初期の儒学者林羅山は、有馬温泉、草津温泉、下呂温泉(岐阜県)を選んで三名泉としたそうです。

この中でいままでに行った事がある温泉は、坊ちゃんの道後温泉と「お医者さまでも草津の湯でも・・」で知られる草津温泉の二ヶ所です。
今度、行ったことがある温泉をリストにしてみようかな・・・。
信州上山田温泉、別所温泉、出雲玉造温泉なども、古い出湯として知られていますが、日本は火山列島ですから古代から出湯は、色々なところに湧いて人との関わりが深い訳ですね。

そんななかで、湯河原温泉は、万葉集のなかで唯一詠まれている出湯だと、万葉公園の説明にあったので、万葉集は門外漢なので信じることにしましょう。

     足柄の土肥の河内に出づる湯の世にもたよらに子らが言はなくに
                                  (万葉集143368)
読み/  あしがりの とひのかふち(こうち)に いづるゆの 
                         よにもたよらに ころがいはなくに
訳/  足柄の土肥の河内(今の湯河原温泉)に湧き出ている湯のように、ほん       
    とうにゆたゆたとゆれ動くようには、あの娘は言ってはいないのだが・・・
相手の心の確かさを信じつつ、なを不安であるという恋する者の不安を歌ったもので、これは民謡として歌われたもの。・・犬養孝著「万葉の旅」(現代教養文庫)参考・・

湧き出でる湯のゆれる湯気を、娘の恋心がゆれる様子にかけた歌で、労役でその娘のもとを離れなくてはならなくなった時、娘が、「この湯気の様にはゆらゆらと揺れずに待っています・・。」とでも言ったのでしょうか。
現代とは違って柔らかく優しい思いですね。
遠く離れた若者は、娘を思いその言葉を信じながらも、恋しく不安な思いを歌にしたとの解釈です。
次に温泉に入る機会があったら、湯のゆらぐ様をゆれる恋心にたとえた万葉の浪漫を思いつつ、湯河原の出湯につかってみたいと思います・・・。