朴の花と沖田総司・・2009/08/01 00:28

朴の花を見たことがありますか?
朴の木は15mを越える高木で、高い木の上に甘い強い香りのする白色の花を咲かせるそうです。あまり高い所で花を開くので、香りはしてもなかなか見ることが出来ないとか。朴の花の写真を探してみると、モクレンの花に似た大きな花弁を持つ黄白の花でした。
先日こんな俳句に出合いました。
一天に一花を掲げ朴の花 宇多喜代子
朴の花は夏の季語ですが、朴の木が強い香りの花を夏の高い空に咲かせている様子が感じられる句だと思いました。

なぜ朴の花・・・・・
それはこの俳句に出合って、以前読んだ本の一部を思い出したからなのです。
森満喜子著「沖田総司・おもかげ抄<新装版>」
著者は1924(大正13)年生まれのお医者さまで、「沖田総司という幕末の一青年の面影を追って彼の溜息の一つも見逃すまいとの思いで綴った」初稿(昭和40年)に4回目の筆を加えたのがこの新装版で1999年の発行本です。
初稿を読んだ司馬遼太郎氏が「あまり情がこもり過ぎている。もっとエッセイ風に」と指摘をしたほど、彼女の総司への思いが深く「情に流される事なく筆を進める事は至難の業で、ともすれば総司への思いに奔ってゆく筆の流れとの戦いであった。」と「あとがき」にあります。
逆算すると初稿の頃の著者は40歳前後ですが、決して多くはない資料や話を集めてやさしく丁寧に深い思いを込めて青年総司の面影を追った本です。

前置きが長くなりましたが、この本の中に「朴の花・・」が出て来たのです。
著者は沖田総司を花にたとえると「朴の花」ではないかと思うと記述しているのです。
それは、昭和43年6月の朝日新聞「天声人語」を引用して、朴の木の大きさ高い所で初夏の太陽に向かって咲く大きな花、そしてその花の散り行く姿に沖田総司の姿を重ねられた様です。

「いのち短しといえば朴の花がそれだ。葉の茂った上にやや黄色を帯びた大きな花を咲かす。花は枝先でことごとく上を向いて初夏の太陽と向かい合う。この木の若葉は美しい上に香りがよいので朴葉餅を包んだりするが、丈の高い木は長身の青年を見るような気がする。・・・・・ある日、朴の花は突如として散る。無常そのものの散り方だ。・・・あっという間に散って残るは空寂の感である。・・さては風とともに昇天したのであろうか・・・」
(「天声人語」より)

この本が出た頃には、昔総司が歩いた小野路(現在の町田)の街道には朴の木があって初夏には花咲かせているとある。
2009年の夏は、まだそこに朴の花は咲いているのでしょうか。
この「おもかげ抄」を読んで沖田総司を「朴の花」にたとえた記述が強く印象に残っていて、朴の花の咲いている姿を見てみたいし、その散り行く様も見てみたいと思い続けています。