勝・西郷の会見の地・・2009/09/11 16:24

江戸開城勝・西郷会見の地?
昨日の池上本門寺松濤園の一画に、勝海舟・西郷隆盛会見の碑がありました・・・。

薩長肥連合の東征軍の江戸城総攻撃目前に、江戸城明け渡しと徳川慶喜の江戸退去が話し合われ、江戸の町を灰に帰さずにすんだ、東征軍総参謀西郷と幕府陸軍総裁勝との会見は、慶応4年(1868)3月13日と14日両日行われ、
その場所については、13日が高輪の薩摩藩邸、14日が田町の薩摩藩蔵屋敷と記されています。

JR田町駅の改札を出ると、壁のレリーフが会見の地である事を思い出させ、国道脇には会見の碑があります。

ところが、本門寺の松濤園内にあった四阿で両者が江戸城明け渡しの会見をしたので、その場所として碑が建てられていました。
それも東京都史跡指定と・・・。(史跡リストを検索しましたが記載されていませんでした。)
本門寺は東征軍の陣営が置かれた場所とありました。

高輪・田町の会見場所で江戸城明け渡しの話し合いが行われた事は間違えのない事だと思うのですが、池上のこの庭の四阿で両者が会った史実があるとすれば、それは江戸城明け渡し後の出会いと考えた方が良いように思いますが、史跡指定を受けているので、資料的根拠があるのでしょうか。

後日の勝と西郷の交流を考慮すると、ふたり静かに池を眺め語り合ったと思いたいのですが、それは江戸開城後の西郷と勝の多忙極まる毎日では難しいかった様にも思えます。

勝は池上に近い洗足池付近が気に入って晩年、池の畔に別邸を持ちその地に眠る事を希望したそうですから、池上のこの庭も散策したかもしれませんね。