節分は年取り・・2010/02/03 22:20

鰯の頭と柊の魔よけ
今晩は節分の豆まきで「年取り」の夜です。
「年取り」「年越し」は12月31日で、ひと月前に過ぎたじゃなと思われるでしょう。

実は、古来からの年中行事では今晩が「年越し」」なのです。
古来の行事や風習は旧暦に基づくものなので、立春をもって新年の始まりとする
旧暦では立春の前日の節分が「年越し」となるのです。

節分とは、立春・立夏・立秋・立冬の各季節の始まりの前日をさすのですが、
江戸時代以降は立春の前日をさすようになったそうです。

江戸時代末期の絵入年中行事記「東都歳時記」に・・
「今夜尊卑の家にて煎り豆をうち、ヒイラギ、鰯の頭を戸外に挿す。
豆まく男を年男という、・・・、今夜煎り豆を己が年の数に一つ多く数えて是を服す、
世俗今夜を年越しという」・・

我家でも、昔から今晩を「年取り」と呼んで、鬼門の方角の屋根瓦や玄関に
鰯の頭とヒイラギ枝を挿して、うち中の窓を開けて「鬼は外、福は内」と
大きな声で豆まきをして歩きました。
屋根瓦が無くなった今では、鰯の頭とヒイラギ枝を挿す場所は、
玄関の入口だけですが・・・。

臭い鰯の頭とヒイラギで鬼の進入を防ぐのだと子供の頃、祖母に聞かされました。
瓦の先に挟む為に屋根に上った思い出も・・。

先程、1年間魔よけに付けておいた鰯の頭とヒイラギを新しいものに
取り替えました。

今晩はどこの家からからも「鬼は外、福は内」の大声は聞こえてきません。
ただ、関取がどこかの寺で豆をまくのが節分ではなんのですが・・。
日本の季節を大切にする心が失われているようで寂しい限りです。

伝統風習を伝承することは、自分達のルーツを大切にして愛おしんで行くことに
他ならないと痛感する夜です。

商業ベースに乗せられた「恵方巻き」を食べる日でもないのです。
何故、節分に恵方の方向に向いてこれを食べるのか・・。
食べる方は、考えながら食べて下さい。

コメント

_ イマダトド ― 2010/02/04 05:32

昨日外出の帰り(午後4時頃)沢蔵司稲荷で節分会をやって印した。近所の子供が大勢(30人位)歓声を上げながら式台(本堂=8m四方=の縁側)から年男・女が放る小袋に入った豆、お菓子、五円硬貨等を受けていました。恒例の光景です。沢蔵司稲荷は伝通院の塔頭、年男・女は町内から応募のあった人達(以外に寺や町の関係者)です。今年はイマダトドが遅い帰宅(一旦帰ってから夜の<真面目な仕事以外の>打ち合わせに出かけた)だったのでやれませんでした。豆はあるのでこれから(4日午前五時)やろうかなと思っています。一人で小さな声で「鬼は外」(鬼は○○を思い浮かべ)。福は内は言いません。いまだ来た例がないからです。日々好日のみ心に思って豆をまき、すぐ回収します。歳の数+1粒を袋にいれ沢蔵司稲荷に持って行きます。今年は過ぎちゃったので自家消耗(食べる)だけですが。ビーちゃんがいた頃は二人(ビーとトド)で捲いた豆を競争して拾います。ビーちゃんはその場処分担当です。三人で結構楽しんで捲いたものです。ジャーキーも混ぜたりして。鰯、柊はやっていません。門松も何十年も飾ったことはありません。国旗など家にはありません。あるのはお年玉とおせちでしたが今年は前述したようにおせち抜きでした。ビーちゃん、ベーチンもお年玉は参加していました。後年エーちゃんがお泊りの時もあげたんだけど報告しませんでしたか。節季の話、懐かしい光景と重なって小さい頃を思い出しました。

_ 雪之華 ― 2010/02/04 23:31

ご近所の節分会、賑やかでよかったですね。
大切な風景として残したいですね。
夜中・・朝方・・に一人で「鬼は外!」  年の数だけ豆を食べてお腹こわさない様にして下さい。

エーデルもお年玉を戴いていたのですか?ジャーキーの?
報告がなかったから知りませんでした。

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