古代の柴又に「とらさん」???2012/07/05 22:25

久々に新聞記事から・・・。近頃は新聞をめくる時間が少なくて・・・。
先週、読売新聞文化欄の磯田道史氏の「古今をちこち」を探していたら、その横の見出しに誘われました。

・・・・・古代の柴又に「とらさん」・・・・・正倉院文書の戸籍 復元刊行

千葉県市川市が正倉院文書に残っている養老5年(721年)の下総国戸籍を推定復元して調査報告書を
刊行したと云う記事。
下総国は現在の千葉県北部でその国府があったとされる市川市が、市史編纂事業として正倉院文書の
古代の戸籍を可能な限り再現したとありました。

そして、再現した戸籍に、興味深い名前!
この名前に気がついた時、学芸員の方はどんな反応だったのかと想像してしまいました。
「ほぅ~」と驚いたのか、「「にんまり」として嬉しい気持ちになった???
もしこの人が、寅さんファンだったら、偶然の出会いに興奮したかも。。。

それは、現在の柴又周辺の「葛飾郡大嶋郷嶋俣里(しままたり)」の郷戸(律令制度下での複合家族単位)に「刀良(とら)」10歳と「佐久良賣(さくらめ)」29歳の名前が残っていたそうです。
別々の郷戸に記されているので、別家族だと読めるようです。
今では、全国的に柴又=フーテンの寅さんで知られていますが、奈良時代の葛飾郡大嶋郷嶋俣里に
刀良(とら)と佐久良賣(さくらめ)が住んでいたなんて・・・、偶然の不思議に驚きました。

刀良君は、どんな少年だったんでしょうね。
寅さんの様に誰にも好かれて、ちっと慌て者の心優しい少年。。。
佐久良賣は、いつでも優しく隣の刀良少年を見つめていた・・・。
そんな想像を巡らせてみるました。

山田洋次監督はこの事を知っていた???聞いてみたいものです。。。