原発事故に思うこと・・・2011/03/21 19:30

1000年に一度と言われた大地震そして原発事故から10日が過ぎた。
まだ大津波にのまれた三陸の被災地には、必要な支援が届かない所もある様だし、
毎日刻々と報道される福島原発事故の現状。
地震と津波によって生活のすべてを失った方々、被災地で不眠不休で救援にあたる
人達、原発事故現場で危険に曝されながら作業を遂行する消防隊員、自衛隊員、
東電関係各社の作業員と、そして物資を輸送する民間物流関係車両等々、
あらゆる手段で、日本の未曾有の危機に打ち勝とうと立ち向かっている。
・・・今は、政府への批判は、さて措いてだが・・・

東北の復興に、どれ位の時間が要するかは、私にはここに書くことは出来ないが、
日本の底力と東北の粘り強い根性で、必ずや立ち直ると信じたい。

無駄な外出を控えてのこの休みは、被災地や原発事故の報道を見たり読んだり、
ネットで検索したりして過ごしていた。どうも時間が出来たからと言って、ゆったりした気持ちで読書も出来ないので。。。
いつも訪問しているブロブや、記事で色々な意見を読んだりして・・・。

一級プラント配管技能士で原子力発電所の現場で働き、原発事故調査国民会議
顧問、原発被曝労働者救済センター代表等を務めた平井憲夫さん(1997年逝去)の、 「原発がどんなものか知ってほしい」を紹介していたので読んでみた。
平井氏は、 「私は原発反対運動家ではありません。原発の「安全」は机上の話で、
原発の耐震設計そして建設、検査、職場環境を、放射能被曝の実情を、そして廃炉も解体も出来ず日本には原発を途中でやめる勇気がないと。原発は絶対に核の平和利用なんかでは無く、原発は地震で壊れる心配もあって、このままでは本当に取り返しのつかないことが起きてしまうことを、どうしても知って欲しい。」
と語っています。
私が、この話の中で一番考えさせられた事は、平井さんが北海道の泊原発の隣町で講演をした時に、中学二年生の女の子が、被曝の恐怖と将来の不安について話し、
 「たとえ電気がなくてもいいから私は原発はいやだ。」と泣きながら発言したことでした。

今までも、原発の事故が何度も起きていることは知っているが、今回の福島原発の
事故が起きて、本当の原発の恐ろしさを知った。
まだ収束していないので、日本中が特に東日本では放射能の恐怖を身に感じながら過ごしている。特に、原発事故により避難を余儀なくされた周辺住民の方々は、言葉に表すことが出来ない恐怖と怒りと悲しみの中で途方に暮れていることだろう。

日本の原子力発電所の数は、アメリカ、フランスに次いで世界で三番目。
このことも、今回初めて知った。
日本では54基(2010年3月末)もの原子力発電所が稼動しているとは思っていなかった。なんの意識も持たずに、原子力発電所で作られた電気を使っていた事に気がついた。実はこの頃、スキーへ出かける時に、関越自動車道や長野道を走行していて、山から山へ鉄塔と送電線が連なっている風景が何とも悲しい風景に思えていたのだ。
都市部へ電力の供給の為には、美しい風景を破壊する鉄塔と送電線が無くてはならない。そしてその向こうには、原子力発電所が存在する。
そして、原発事故によって電力不足が発生し、計画停電。。。節電。。
電力不足によって生じる交通の不便、生産停止、医療における困惑、生活の不便等々
毎日が立ち行かなくなっている。電気は絶対に無くては成らない。
どうしたら良いのだろう・・・・・・。

水力発電・火力発電だけでは需要には追いつかないし、化石燃料による火力発電は、
燃料の安定供給と価格に左右され、さらに地球温暖化の問題も抱えている。
今後、太陽光、風力、地熱発電によるさらなる開発で電力が供給量されても、とうてい原子力発電に代わることは出来ないそうだ。
いままで私たちは、なんでも便利に快適にと電気を多様して無駄をして来たのかもしれない。身近な小さなところから考え直してみる必要がある様に思う。
そして、原子力を利用して発電するという事が、どんな事なのかを再認識して、行動しなくてはならない。

今は、事故現場で命がけで作業を続けている人達に感謝して無事を祈るのみである。