昨日の気になったニュース・・・2010/09/03 22:13

昨日も今日も「菅X小沢」の話題・・・。

そんななかで、こんなニュースが。。。。。
65年前、東京湾に浮かぶアメリカ海軍旗艦ミズーリー号上で、全権重光葵が
第二次大戦の降伏文書に調印したのが、9月2日・・・。
今年から、ロシアでは9月2日を、「第二次大戦終結の日」とする法案が可決され、極東ではその記念日の式典が行われたと報じていた。

いま何故??? いまだから!!!
ロシア側は「日本を特定したものではない。」といい、我国の外務省も外務大臣もその言葉を受けて、「日本を特定してはいない。ロシア側の配慮を感じる。」みたいな内容のコメントをしていた。

なんだかな・・・・ヽ(´゚д゚`ヽ) ワッケ!! ヽ(´゚д゚`)ノ ワッカ!! (ノ´゚д゚`)ノ ラン!!

日本が連合国側のポツダム宣言を受諾して、あの悲惨な戦争が終結したのは、8月15日。連合国側であるアメリカもイギリスも対日戦勝日は8月15日。
なのに何故、今になって、ロシアは、9月2日を大戦の終結の日に法制化したのでしょうか。

経済大国から落ちて行く日本に追い討ちをかけ、ロシアの極東に於ける
北の資源と島々の領有の正当を無言のうちに誇示するため・・・。
今の日本にはそれに反発する元気は・・・、なし。
経済・外交そっちのけで、次期総理大臣の椅子の争奪戦!

日本人は、自国の領土に対して淡白なんじゃないでしょうか・・・。
いったい大戦前の北の国境線は何処??知っていますか?
日本と露西亜の間にどんな条約が存在していたの??

日露平和条約が締結されていない現在、安政元年(1855)の日本国露西亜国通商条約で取り決めた国境線が、基本になるのでは?
そして明治政府が、榎本武揚を特命全権大使として締結した最初の対等な条約であると千島樺太交換条約(1875年)が存在します。
この条約で、樺太全島はロシアに、千島18島を日本に譲渡する取り決めが行われたが、その後、日露戦争の講和条約(ポーツマス講和条約 1905年)で
樺太の北緯50度より南の部分は再び日本に譲渡された。
第二次大戦時は、ソビエトは日本とは日ソ中立条約(1941年)を締結し、ヨーロッパ戦線においてドイツと応戦したが、終戦まじかの8月9日以降、中立条約を無視しソ連軍の進攻が行われた。
8月18日、千島最北の占守(シュムシュ)島に上陸、その後南下を続け、国後島、色丹島占領し、最後の島を占領し終えたのは9月5日だった。

この間、ソ連は連合国に対し、千島と北海道の北半分をソ連の占領地域にすることを要求した事実を知る人は、今どれぐらいいるだろうか?
もし、連合国がこの要求に応じていれば、今、釧路はロシア領になっていただろう。沖縄の様に返還されているとは思えないが・・。

第二次大戦の連合国と日本は、1951年サンフランシスコ平和条約を締結し、
その条約にて、千島列島と南樺太の権利、権原及び請求権を放棄した。
このあたりについては経緯が複雑な様ですが・・・。

さて、何処までが日本の領海となるのか??
一度考えてみてはいかがですか。。。
サンフランシスコ平和条約には、ソ連は参加していませんから、いまでも日本とロシアの間には平和条約が存在しないのです。
樺太千島交換条約は国際法上認められるべきものであると考えるか?
千島列島は何処までをさすのか?
1956年、友愛の伝書鳩の祖父一郎首相が、領土問題を棚上げにしたまま
日ソ共同宣言に調印し国交が回復し、現在に至っている。

このまま何事も無いかのように淡白に過ごしていていいのでしょうか・・。
小さく扱われたニュースでしたけど、学校で教えない出来事ならば、マスコミは過去の歴史を知らせる努力をして欲しいと感じてしまいまた。















コメント

_ 恋夜 ― 2010/09/04 10:13

スターリンのバカ…(-_-;)…北方領土全部返せ。
8月15日~9月2日までの空白期間,
ロシア側では無抵抗な日本の国家体制をいいことに,
あからさまな条約違反や領土の略奪を行った。
その非道な行為を認めず,
いまさら領土を日本に返したくないから,
終戦の日を改めて固定化してアピールするマネをしたのでしょう。

日本政府は,腰ぬけ。

_ 雪之華 ― 2010/09/04 21:39

姫 コメント(人'▽`)ありがとう☆

先日も、韓国と日本の若者のリベートを見ていて
情けなかった!
日本の若者は、国の歴史を討論出来ないんだから。

北方領土を考えるとき、国際的に、ロシアの不法占拠に対して
明治政府の樺太千島交換条約が国際法上評価されるかどうかが
大きいと思うの・・・。

この条約締結は、節義を曲げて生きた榎本武揚の仕事・・・。
今の政治家、節義なんてありゃしない。
腰抜け政府じゃ、お先真っ暗闇ですね。

_ ソフトでハモニカ ― 2010/09/09 13:49

本題とチョット外れるかも知れませんが、私の父が満州にてこのソ連侵攻で戦死しております。
母が晩年、死を覚悟して遺品をきちんと整理してありました。その中に以下に示す手紙が入っており、これにより私は初めて父の最期を知りました。母は生前この事を一言も言いませんでした。私も聞こうともしませんでした。
同じく遺品の中に未帰還者照合名票と言う1枚の紙片があり、そこには所属部隊名が書かれ、手紙をくれた戦友の証言で20,8.18戦死とあります。発行は昭和25年6月となっていて、基礎資料調査覧には(未了)で「近日公報発令に付き添付せず」と記入されています。
母はこの間父の消息を国に尋ね続けていました。返答は終戦の混乱で判らないだけです。母の執念で5年後戦友が判り、覚悟はしていたとは思いますが「戦死」が判明しました。
1枚の赤紙で終戦直前に国に召され、5年も掛かって1枚の公報で死を宣告される。享年29才! これが戦争です。
以下長文で申し訳ありませんがその手紙を掲載します。

 拝復 御便り拝見しました 唯一途に御主人の御帰りをお待ちせられて居たのに戦死の公報に接せられ 覚悟せられて居たと思いますがご心中如何ばかりかと御察し申し上げます。早速乍ら当時の情況をを申し述べます。
 我が二七三連隊はムーロン・伊林の鉄道線の牡丹江よりいへば左側山中の陣地作業に従事し居り K谷氏とは同一幕舎にて起居を共にいたし 写真も見せてもらい色々面倒もみてもらいました。

八月九日ソ連進入の報に接し佐藤伍長以下の一ヶ小隊と共にK谷氏は派遣せられ、小生は中隊主力と共に主陣地の戦斗配備に付きました。一日交戦翌日小豆山に集結中隊並びに?隊主力と共に牡丹江にむかって行軍しましたが佐藤伍長以下の消息がわかりませんでした。 途中ネイアン戦の一部落で露営中小生他五名斬込隊に出され そのまま部隊・中隊とは別れてしまい翌朝佐藤伍長以下と会ひ以後佐藤伍長を長として朝鮮に行くべく行動お起こしました。
その間三日三晩何も食わず随分落伍せる者もありましたが ようやくその山中もきり抜け夕方食事の為一部落に糧秣使役に山田上等兵以下数名を使役として出されましたが 我々は若干離れて居りましたが 突然銃声がしばし聞こえましたので何事かあったと思うしりから山田上等兵万死に一生を得て生々しき情況を報告しました。

 部落入口にソ軍が居り 何事か手を挙げ示し居ったようでしたが意味がわからず 彼我の距離は五十米位の様でしたが道が低地の上 敵は自動小銃を携え数に置いても多く 彼等は友軍が意味がわからぬまま敵迎撃のかまえで発砲 敵もあわてて応戦 しばし戦闘せる模様なれど先程も申した通り友軍は低位置の不利、武器の劣る為遂に山田上等兵他一名生還以外他は全員戦死した次第であります。
K谷氏も遂にこの戦闘に於いて永久にかえらざる人となられたのです。
 これが小生の知れる概略でありますが これは事実であり なんと申し上げてよいか言葉を知りません。これだけでも納得は行きませんでせうが、充分御くみとり願います。
 当時の関東軍は名のみにて実なく 幹部は逸早く姿なく ほとんどが五日以降の召集兵・現役ばかりでありました。
もしお暇でもありますれば愚宅にお越しになっても結構です 本当にむさ苦しいところですが一夜の宿位はご遠慮なく。小生も空?の為二階借はして居ますが 三ヶ年のシベリア生活をかえりみて毎日元気で働いています。
貴女に於かれましてもお苦しいでせうが、又冷たい世の中ではありますが正しく明るく生き抜かれますようお祈りいたします これが又故K谷氏へのお慰めになると思います。
甚だ乱筆ではありますが失礼します。
                                  
                                橋○◎二
K谷○子殿

_ 雪之華 ― 2010/09/09 23:31

貴重なお手紙を読ませていただき、お父様が8月15日以降に戦死されたことを知り、愕然といたしました。

このお手紙を読まれたときのお母様のご心中は、いかばかりでいらっしゃったかと、もし、そのときそばにいたら、お慰めする言葉がみつからなかったでしょうね。

この手紙を、出来るだけ多くの方に読んでいただきたく思い、勝手に「もうひとつの終わらざる夏」として、そちらにも掲載させていただきました。

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