コリンとのお別れ ― 2023/12/21 12:23
11月4日の早朝 コリンに何が起きたの判らずに・・・
夜が明けて病院の開く時間を待つ時間がなんと長く感じられたことか。。。
9時開院なので8時半までには連れて行きたいと身支度をしました。
2階の寝室からコリンを抱いて1階のソファに・・・
今思い起こすと これがコリンを腕の中に抱いた最後でした。
この時は 少し苦しさがおさまっていた様でした。
病院の前にはすでに2.3人の方が待っていました。
9時にすぐに受付を済ませ 様子を説明すると
すぐに連れて来て!と言われて
車で待機していたパパがコリンを抱いて来て
看護師さんがすぐにコリンを受け取り 診察室に連れて行きまた。
コリンの順番は三番目。。。
呼ばれて診察室に入ると、コリンの容態は予断を許せる状態ではなく
肺に水が溜まり肺炎を起こしていて酸素飽和度が68
いつまで湯河原に居るの?連れ帰るのは難しい~と言われて
最初は事態が飲み込めませんでした。
東京に戻るならば東京の病院と連携してケージを密閉して酸素ボンベを使って・・・
と言われて・・・
でもこの時点では、病院の先生も最悪の事態が起きるとは思っていなかった???
午前の診察が終わった時間に ゆっくり面会出来るからと言われて
'ソフィとナイトにご飯をあげる為に一度家に戻りました。
その時のコリンの様子は、酸素吸入ケージで楽になったのか
伏せをした姿勢で顔を上げて可愛い顔でこちらを見てくれました。
これが コリンと目があった最後になるなんて思ってもいませんでしした。。。
ガーデンに戻るとソフィとナイトも心配そうに待っていました。
コリンが頑張ってるからね!と話してご飯を食べさせて
友人にコリンの様子を伝える為に電話をしていたら
病院から「急いで来て下さい」と・・・ 病院へ引き返しました。
病院へ着くとコリンは処置室のベットで口から管で酸素を吸引されながら
肺の水を少しずつ抜かれてる状態で
先生が名前を呼んであげてと・・・・・
コリン!コリン!と何度も呼びかけて・・・
私たちが病院を出た後に 急変したそうです
それからしばらくモニターの数字と波形を祈りながら見つめ
コリンの手を撫ぜて励まし続けました
3時間ほどコリンは頑張って生きようとしてくれました
午後2時8分・・・・・コリンとの別れが訪れてしまいました
コリンは一生懸命頑張ってくれました。。。
病院でお口周りを綺麗に整えて頂きコリンをガーデンに連れ帰りました。
2人とも余りにも突然の別れに涙が出ませんでした。
まだ少し温かいコリンを連れ帰ると ソフィとナイトは
コリンをクンクンして 何か変だな〜と感じた様子でした。
コリンとの別れがこんな形で訪れるとは・・・・・・
コリンを見守るソフィ コリンが亡くなってしまった事を理解しているようでした。。。
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