ついでに・・徳川御三卿展・・・2010/11/16 23:11

特別展の「隅田川」を見た後に、「徳川御三卿」企画展も覗いてきました・・。
家康の時に創設されたのが「尾張 紀伊 水戸」の御三家。
その紀伊徳川家から徳川宗家を相続した8代将軍吉宗の時に創設されたのが、田安家と一橋家、そしてその後清水家が誕生して、その総称が御三卿。
尾張徳川家、紀伊徳川家と同様に将軍跡目相続をすることが出来る将軍家の分家である。(・・・水戸徳川家は将軍家に跡継ぎのない時でも跡継ぎを出すことはない。・・・)
この御三卿は御三家と違い、領地を有する大名格ではないので将軍家より
賄料を賜り、家臣も多くは幕府からの出向であった事が大きな特徴である。
やはり一番有名なのは、最後の将軍となった一橋慶喜ではないでしょうか。
一橋慶喜が、将軍後見職として京へ上る時の行列を整えるのに、水戸の実家から家臣団を借りた事も納得出来る訳である。
徳川御三卿展

この企画展は、学問の家風の田安家、政治へ参画した一橋家、そして将軍家庶子の養子縁組待ちの控えの家として明屋形(あきやかた)の清水家と位置づけて各家に残る名品・書物が紹介されていた。
一番興味深く眺めたのは、「国家御安危」の事態を考え「一死報恩之覚悟」で将軍職を請けると書かれた、茨城県立歴史館蔵の「家督相続将軍職相続ニ付請書」で、「臣 慶喜」の名が最後に記されていた。

丁度、来週からCATVの時代劇専門CHで1998年NHK大河で放送された
司馬遼太郎原作の「徳川慶喜」の放送が始まる。
今年の大河「龍馬伝」の慶喜は、あまりにも酷い扱いを受けているので腹が立つ・・・。本木雅弘の慶喜で口直しはいかがですか。。。なかなか良い作品だったと思います。
司馬遼太郎「最後の将軍」





コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
はじめてのシュナの名前は?

コメント:

トラックバック