「龍馬伝」の映像表現・・・2010/05/25 22:12

大河ドラマ「龍馬伝」も中盤に差し掛かって来ました。
視聴率もまあ~まあの様ですね。
私は、「篤姫」の時と同様に、家事仕事中だったり、パソコンに向っていたりして、
流しで視聴していまが、初回から一様は話の筋は追ってはいます・・・。

今日は「龍馬伝」の映像表現について、書いてみたいと思います。

「龍馬伝」を視聴された方は、画面を見て、「いつもと違う!」と感じらたのでは・・・。

私は・・、
*何だかボケている様な映像・・・
*今までのTV映像とは違い映画のような画面・・・
*全体的に暗い感じがする・・

第一印象は「あまりこの映像は好きじゃないな・・。」でした。
これが、プログレッシブカメラを導入した結果だったんですね。

実は、「プログレッシブカメラを導入して撮影」と前宣伝では聞いていたのですが、
「なんじゃそれ?」だったんです。

専門的な詳しい事は理解できませんが、この手持ちカメラは映画フイルム(1秒24コ)以上の1秒30コマの高性能高精細撮影ができ、手持ちの利点で被写体への接近が可能で、被写体深度(カメラでピントが合う範囲)が浅いので、背景や手前にあるものがボケて写るために奥行きが感じられ、このカメラを使用する事により、従来よりリアルな深みのある映像を撮る事が可能となったと言う事だそうです。

演出家の大友啓史氏は、新聞コラムで・・・
「このカメラを使うと、微妙な陰影や光の柔らかさが表現できる。映像の質感で時代を表現するには、非常に優れています。」と語っています。

ハイビジョン撮影でクリアーな映像に慣れた眼には、演出家が表現したいピントの合った被写体以外の背景はボケているので、なんだかセピア写真を見ている様な感じがします。
それが、演出家の意図する映像の質感で時代を表現すると云う事でしょうか。
時代物において、背景があまりにもクリアーに写し出されると、作り物には違いないのですが、そこに白けた感じが生じてしまう事が多々あります。この作品では、回数を重ねるうちに、幕末という何処か土煙が舞い立っている様な時代のリアリティーを感じる様になりました。
昨年の作品では、安土桃山の豪華絢爛な映像に白けた事が・・・。

さらに通常の映画やテレビのセットは天井を作らず、天井から照明を当てて撮影しますが、「龍馬伝」のセットは、屋根も壁もある普通の建物になっていて、それが、室内の場面の映像を、従来の映像に比較して「暗い」と感じさせる原因なのです。

演出家は、天井も壁もあるセットにする事によって、・・・
「そうすることで、ではリアルな日差しをどこから入れるか、という発想が、照明に生まれるんです。」と・・・。

この点においても、演出家の意図するところは、映像から感じとる事ができます。
もともと日本家屋は、外に対して軒を出したり縁側を設けて外光が座敷へ刺し込まない様になっていて、だから、自然と座敷は薄暗く、外の光が眩しく感じられるのです。
「龍馬伝」における室内場面は、、リアリティーのある映像として成功していると感じます。行灯の明るさを感じられる様な気がするのは、私だけでしょうか・・・。

演出家の大友氏は「昔の大河ドラマの格調、重厚さと、今風のエンターテイメントを融合した、僕なりの温故知新です。」と・・。
「龍馬伝」における演出に対しては、「昨今の時代劇は・・・大河ドラマは・・・」と言わずに、温故知新で新たな歴史ドラマが展開されることを楽しみたい。