「わが青春の沖田総司」-3・・ ― 2009/10/16 00:12
島田順司著「わが青春の沖田総司」のつづきです。
http://kazahana.asablo.jp/blog/2009/10/03/4613341
「新選組血風録」の沖田役に抜擢された時、島田順司さんは26歳。
そして、「燃えよ剣」の沖田役を演じた時は、30歳でした。
その後、舞台で結束信二氏作・演出で沖田を演じたそうですが、残念ながら、私はこの公演は見ていないのですが・・・。
彼は、私生活でも「燃えよ剣」の撮影前に長男が誕生しており、役者としてイメージが固定する事を嫌ったのか、この時は一度は沖田役を辞退したと何かで読んだことがあります。
「・・再放送があったりすると、直接ボクにその反響は伝わって来ないけど、やはりどこかでフィルムを見ててくれる人がある、それは有難いことだけど・・・・・しかし、そう喜んでばかりもいられない気がしていたんだ、もう完結してしまった世界だから、脱皮というほどではないけど、もっと、きつく自分が演じていく方向を探していかなくちゃと思っていたわけでね。」と、
沖田総司のイメージを払拭する為に喘いでいた様です。
そして、「・・大内美予子さんとの出逢いやらいろいろあるんだけど・・・」を経て、
「「俺のやりたい芝居は、こうだ!」・・・芝居をやるからには、
「ボクはこのことについて、こう思ってるんだけどどうだろう?」と役者自身が問いかけていく芝居がしたい。
ボクの演った沖田をいいな、と言ってくれた人が、僕の違う芝居を見てくれるようになって欲しなと・・
そこで沖田を芯に据えた芝居っていうのをやってみようということになって、・・・・・、
つまり、沖田総司という若者の内なる世界をどうやって描き切れるか・・・ということになったんだ。」
こうして彼は、1976年2月名古屋の小劇場で、今まで彼が演じて来た沖田総司ではなく、
「「恋」とか「死」とか、人間に課せられている一つ一つの命題を見詰めて描く・・」
「終焉そして邂逅」というタイトルの芝居を上演しました。
「わが青春の沖田総司」のなかに、この脚本が載っています。
そしてこの脚本の作者が大内美予子さんなのです。彼女については後日に譲りたいと思います。
「終焉そして邂逅」は、「一人の若者が生き、そして死んだ。」という語りで始まり、「誰が、語りかけようと、すでに完結した君の人生はどうかえることもできない・・だが、ボクは、君に語りかけることを、決して無意味だとは思っていない・・それが一人の人間との邂逅である以上。」とあります。
そして最期に、エピローグとして島田順司さん自身の言葉で語っています。
沖田総司は、戦の中で死んだんだ。彼は彼の正義のために人を殺しただろうけど、しかしそれで彼自身傷付かなかったとは決して思えない・・・これから(戦争によって)そういう若者を作り出しちゃいけないんだ。
彼の持っている矛盾に魅かれる・・それは分からないことじゃないけども、沖田が、どうして矛盾を持って生きなければならなかったか、それを考えてほしいんだ、人間本来のやさしさ、しあわせ、そういうものを追求したがる青春ってものの姿の裏側に、一体何のために人斬りというもう一つの姿をおしついけなければならなかったか。ね。それが戦いってものなんだよ。
戦争ってものを見た・・そして脳裏にやきつけた最後の年代の人間として・・若者たちにとっては、
あるいは空しい言葉かも知れないけど、やっぱりどんな形でもいいから伝えていかなくちゃいけない。ボクの演じた沖田の中に、もしも・・もしもだよ、人の心にうったえるものがあったら、それは、戦いと、死とを背負った人間の哀しみ、それがあるからなんだと思う。
生きて行くことは、やっぱり、一時期、一時期、生命の有効性を燃焼させて行くほかは無いって思う・・俳優として明日の自分のために、何かを作り出して行く努力を続けて行こうと思ってるし・・。
「わが青春の沖田総司」が出版されたのは、1977年、島田さんが39歳の時です。
島田さんは、7歳の時に広島県で終戦を迎えたと書いています。
多感な少年・青年時代を過ごした1950年代は、日本は朝鮮戦争による戦争特需で戦後の復興を遂げ、演劇活動を開始した1960年代は、世界は米ソの冷戦の時代となり、1962年のキューバ危機、1970年の泥沼化して行くベトナム戦争の時代でした。
当時高度成長期の日本において、反戦運動の反面で戦争の悲惨さが薄れて行く出来事も沢山ありました。ベトナムで戦死した米兵の遺体を清める高額なアルバイトが話題になった事を覚えています。
こんな時代に、役者として「役者自身が問いかける芝居」を模索していた彼が、友人のルポライター児玉隆也さんの死や大内美予子さんとの出逢いで、「戦争によって苦しむ若者を作り出してはいけない。」と、沖田総司の姿を通して訴えたのです。
島田順司さんにとって、総司との邂逅(出逢い)は「わが青春の沖田総司」そのものだったのではないでしょうか。はじめは、ファイルムの前で演じる事に戸惑い、そして役者としてイメージの固定への戸惑い、そして、総司を演じきる事により自分の思いを表現する・・。
そしてその思いを、文章にしたのがこの本だったのかもしれません。
そして、71歳になられた今、島田順司さんが、栗塚旭さん・左右田一平さんと再会して何を語るのか・・・・・。
http://kazahana.asablo.jp/blog/2009/10/03/4613341
「新選組血風録」の沖田役に抜擢された時、島田順司さんは26歳。
そして、「燃えよ剣」の沖田役を演じた時は、30歳でした。
その後、舞台で結束信二氏作・演出で沖田を演じたそうですが、残念ながら、私はこの公演は見ていないのですが・・・。
彼は、私生活でも「燃えよ剣」の撮影前に長男が誕生しており、役者としてイメージが固定する事を嫌ったのか、この時は一度は沖田役を辞退したと何かで読んだことがあります。
「・・再放送があったりすると、直接ボクにその反響は伝わって来ないけど、やはりどこかでフィルムを見ててくれる人がある、それは有難いことだけど・・・・・しかし、そう喜んでばかりもいられない気がしていたんだ、もう完結してしまった世界だから、脱皮というほどではないけど、もっと、きつく自分が演じていく方向を探していかなくちゃと思っていたわけでね。」と、
沖田総司のイメージを払拭する為に喘いでいた様です。
そして、「・・大内美予子さんとの出逢いやらいろいろあるんだけど・・・」を経て、
「「俺のやりたい芝居は、こうだ!」・・・芝居をやるからには、
「ボクはこのことについて、こう思ってるんだけどどうだろう?」と役者自身が問いかけていく芝居がしたい。
ボクの演った沖田をいいな、と言ってくれた人が、僕の違う芝居を見てくれるようになって欲しなと・・
そこで沖田を芯に据えた芝居っていうのをやってみようということになって、・・・・・、
つまり、沖田総司という若者の内なる世界をどうやって描き切れるか・・・ということになったんだ。」
こうして彼は、1976年2月名古屋の小劇場で、今まで彼が演じて来た沖田総司ではなく、
「「恋」とか「死」とか、人間に課せられている一つ一つの命題を見詰めて描く・・」
「終焉そして邂逅」というタイトルの芝居を上演しました。
「わが青春の沖田総司」のなかに、この脚本が載っています。
そしてこの脚本の作者が大内美予子さんなのです。彼女については後日に譲りたいと思います。
「終焉そして邂逅」は、「一人の若者が生き、そして死んだ。」という語りで始まり、「誰が、語りかけようと、すでに完結した君の人生はどうかえることもできない・・だが、ボクは、君に語りかけることを、決して無意味だとは思っていない・・それが一人の人間との邂逅である以上。」とあります。
そして最期に、エピローグとして島田順司さん自身の言葉で語っています。
沖田総司は、戦の中で死んだんだ。彼は彼の正義のために人を殺しただろうけど、しかしそれで彼自身傷付かなかったとは決して思えない・・・これから(戦争によって)そういう若者を作り出しちゃいけないんだ。
彼の持っている矛盾に魅かれる・・それは分からないことじゃないけども、沖田が、どうして矛盾を持って生きなければならなかったか、それを考えてほしいんだ、人間本来のやさしさ、しあわせ、そういうものを追求したがる青春ってものの姿の裏側に、一体何のために人斬りというもう一つの姿をおしついけなければならなかったか。ね。それが戦いってものなんだよ。
戦争ってものを見た・・そして脳裏にやきつけた最後の年代の人間として・・若者たちにとっては、
あるいは空しい言葉かも知れないけど、やっぱりどんな形でもいいから伝えていかなくちゃいけない。ボクの演じた沖田の中に、もしも・・もしもだよ、人の心にうったえるものがあったら、それは、戦いと、死とを背負った人間の哀しみ、それがあるからなんだと思う。
生きて行くことは、やっぱり、一時期、一時期、生命の有効性を燃焼させて行くほかは無いって思う・・俳優として明日の自分のために、何かを作り出して行く努力を続けて行こうと思ってるし・・。
「わが青春の沖田総司」が出版されたのは、1977年、島田さんが39歳の時です。
島田さんは、7歳の時に広島県で終戦を迎えたと書いています。
多感な少年・青年時代を過ごした1950年代は、日本は朝鮮戦争による戦争特需で戦後の復興を遂げ、演劇活動を開始した1960年代は、世界は米ソの冷戦の時代となり、1962年のキューバ危機、1970年の泥沼化して行くベトナム戦争の時代でした。
当時高度成長期の日本において、反戦運動の反面で戦争の悲惨さが薄れて行く出来事も沢山ありました。ベトナムで戦死した米兵の遺体を清める高額なアルバイトが話題になった事を覚えています。
こんな時代に、役者として「役者自身が問いかける芝居」を模索していた彼が、友人のルポライター児玉隆也さんの死や大内美予子さんとの出逢いで、「戦争によって苦しむ若者を作り出してはいけない。」と、沖田総司の姿を通して訴えたのです。
島田順司さんにとって、総司との邂逅(出逢い)は「わが青春の沖田総司」そのものだったのではないでしょうか。はじめは、ファイルムの前で演じる事に戸惑い、そして役者としてイメージの固定への戸惑い、そして、総司を演じきる事により自分の思いを表現する・・。
そしてその思いを、文章にしたのがこの本だったのかもしれません。
そして、71歳になられた今、島田順司さんが、栗塚旭さん・左右田一平さんと再会して何を語るのか・・・・・。
コメント
_ 恋夜 ― 2009/10/20 00:58
_ 雪之華 ― 2009/10/20 13:24
島田さんは、爆心地と山を挟んだ場所で、被爆された方々が運ばれてくる悲惨な光景を
眼にされたそうです。
幼い子供の戦争への恐怖は、今の平和な時代の私たちの想像を遙かに超えるものでしょう。
彼は、当時の「総司さま・・」と憧れる女性達に、
「母親になられるあなた達が、子供を戦争に行かせ、若者を苦しめる事がないよう、戦争の醜さを知って欲しい。」と・・・。
眼にされたそうです。
幼い子供の戦争への恐怖は、今の平和な時代の私たちの想像を遙かに超えるものでしょう。
彼は、当時の「総司さま・・」と憧れる女性達に、
「母親になられるあなた達が、子供を戦争に行かせ、若者を苦しめる事がないよう、戦争の醜さを知って欲しい。」と・・・。
_ 恋夜 ― 2010/03/06 08:29
雪様,島田さんが公式ブログを開設なさいましたが,
もう,御訪問されましたでしょうか?
恋夜,勇気を出してコメントを差し上げたら,
ご本人から御返事があり,
栗ボードの「恋夜」だと,ちゃんと御存じでした!!(笑マーク入りで)
嬉しくて嬉しくて…こちらへ参上しましたが,
スキー記事から更新がなされていない。ああ,残念無念!!
もう,御訪問されましたでしょうか?
恋夜,勇気を出してコメントを差し上げたら,
ご本人から御返事があり,
栗ボードの「恋夜」だと,ちゃんと御存じでした!!(笑マーク入りで)
嬉しくて嬉しくて…こちらへ参上しましたが,
スキー記事から更新がなされていない。ああ,残念無念!!
_ 雪之華 ― 2010/03/06 19:47
姫 お知らせありがとうございます。
早速に、島田さんのブロブに飛んで行きました。
コメントとお返事を読んできました。
島田さんの優しいお人柄が感じられるやりとりでしたね。
栗ボードの「恋夜」さんだとご存知なのはすごい!!
順司さん、栗ボードを読まれておられるのですね。
早速に、島田さんのブロブに飛んで行きました。
コメントとお返事を読んできました。
島田さんの優しいお人柄が感じられるやりとりでしたね。
栗ボードの「恋夜」さんだとご存知なのはすごい!!
順司さん、栗ボードを読まれておられるのですね。
_ ゆーじゅん ― 2010/10/06 20:17
はじめまして^^
「恋夜」さんのブログやユーチューブなどをさまよってここまでたどり着きました。
「我が青春の沖田総司」一度は読んで見たいと思いつつ・・・今に至りました。
内容を紹介していただきありがとうございます。
本当に沖田総司ははまり役でした。
その後いろんな方が沖田総司を演じましたが「??」と思うことも多かったです。やはり多くの方にとって輝かしい青春は島田=沖田」にダブってしまいます。(私はまだよちよちのこどもでしたが、、再放送を見たんですよね。。確か。そこから燃えよ剣を読んだり。。司馬遼太郎にのめりこんだり。。。学園祭で新撰組演じたり。。懐かしい限りです。
「我が青春の沖田総司」はいまや2万円!!!の高額書籍・・・
とっても購入は望めないのですが。
調べてみると市立図書館の蔵書にありました^^
早速借りる予定です。
なんだか青春のひと時が帰ってくるみたいでワクワクします。
その書籍には島田さんの総司にたいする思い・・そうだったんだ・・・と(なぞ?がとけたような。。)・・当時とオーバーラップして思い出しています。
島田さんの情報ありがとうございます。
「恋夜」さんのブログやユーチューブなどをさまよってここまでたどり着きました。
「我が青春の沖田総司」一度は読んで見たいと思いつつ・・・今に至りました。
内容を紹介していただきありがとうございます。
本当に沖田総司ははまり役でした。
その後いろんな方が沖田総司を演じましたが「??」と思うことも多かったです。やはり多くの方にとって輝かしい青春は島田=沖田」にダブってしまいます。(私はまだよちよちのこどもでしたが、、再放送を見たんですよね。。確か。そこから燃えよ剣を読んだり。。司馬遼太郎にのめりこんだり。。。学園祭で新撰組演じたり。。懐かしい限りです。
「我が青春の沖田総司」はいまや2万円!!!の高額書籍・・・
とっても購入は望めないのですが。
調べてみると市立図書館の蔵書にありました^^
早速借りる予定です。
なんだか青春のひと時が帰ってくるみたいでワクワクします。
その書籍には島田さんの総司にたいする思い・・そうだったんだ・・・と(なぞ?がとけたような。。)・・当時とオーバーラップして思い出しています。
島田さんの情報ありがとうございます。
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きちんと物事を冷静に分析し,考えながら,
役者としての演技のひとつひとつを無駄にしたくない…という意識がとても強い方のように見受けられます。
幼少時,広島で終戦を向かえたのであれば,
原爆で被爆された方々の悲劇的な現状を目の当たりにすることも多々あったのではないでしょうか…。
そして,幼心にも戦争とは,なんて悲惨な爪痕を残すものなんだろう…と痛感されたのではないでしょうか。
直接的な戦争体験はしていなくても,身近に生と死を垣間見るような体験などもされたのではないかと思われます。
その生い立ちからして後に沖田総司に抜擢される運命だったとしか思えないです…やっぱり。
沖田総司の魂が,自分を演じてくれるヒトを探していたように…。
そして,沖田そのものとして,見ている側が何かを感じてしまうのは,
生死の狭間で揺れ動く「魂」のようなものが,
島田さんの中から演技を超えて放出されていたからでしょうね。
やっぱり,只者の役者さんではない。
22日に何を語るか…お独りなら深く語るかも知れませんが,
栗ちゃまや左右田さんがご一緒だと…面白おかしく,懐かしく,ほのぼのとした話題のお話が中心になりそうですね。楽しみです。
島田さんの記事,沢山ありがとうございます!!