「わが青春の沖田総司」-22009/10/03 20:19

島田順司著「わが青春の沖田総司」のつづきです。
http://kazahana.asablo.jp/blog/2009/09/29/

島田順司さん、「新選組血風録」の沖田役に抜擢されるまでは、
「・・芝居へ出たって、千円以上はもらえない、旅興業で一日・・800円か・・せいぜいそんなものだった。芝居の無い夜、徹夜でガリ版切るんだけど、そんなの高が知れてるし・・。」そんな舞台中心の劇団員が、沖田役に決まっても、
「新劇育ち・・。・・フィルムに自分が写るということに、何のリアリティーも感じなかった・・」新劇育ちの彼は、フィルムの仕事(映画)でご飯が食べて行けるとは考えられなかったと書いています。

「同じ劇団の左右田さんもいくというから、ま、一緒についていけば何とかなると思って、京の都へ出かけることにした。」と、まるで沖田が、近藤さんや土方さんについて京の都へ出かけたのと同じような気持ちが綴られている様な・・。
「子供の頃のチャンバラゴッコが実際の仕事だなんて、ちゃんちゃらおかしいというか、働いているなんてリアリティーは、まったくなかった。」
「それでも、少ないながら、ちゃんとお金はいただけるいし・・、・・当時の僕にとって決して少なくなかった。」
京都の東映の独身寮で左右田さんと寝起きを共にしながら撮影通いをし、初めてのフイルムの仕事、それも時代劇という仕事に戸惑いながら、
「・・・はぁー、映画というものは、こういうふうにして作られていくのか、なるほど・・・と只関心ばかりしていた。」
「・・・自分の芝居をどうするかってことを考える前に、まず珍しいものが一杯あって、なおかつ食べることの心配がないということは、すごくたのしかった。あまり欲もなかったし、・・・気楽なものだった。」
どこか島田さん演じる沖田総司の姿と重なりませんか。

でもそんな島田さんも始めは、
「時代劇というものをやったことがないから、カツラの付け方もわからないし、カオもどうしたらいいのかわからない、殺陣も出来ない、雪駄も・・うまく歩けるわけがない。
着物を着ても馴れていないから、何となく落ち着かない・・落ち着かないとやっていることが単純になる・・自分の殻にとじ籠もる・・食欲がなくなる・・またまたやせる・・。
一番最初は、とにかくひどかった。左右田さんがいたから何かといろいろ心丈夫だったのは事実だ。・・・そうでなければ、もっともっと、しょぼんとした沖田になっていたかもしれない。」
「・・・アフレコ・・口を合わせるなんてどうしていいのかわからない・・・。目線というのがこれまたわからない。」
初めてのカメラに向かっての演技にだんだん気が重くなって来る時期があったとあります。

「菊一文字」については、
「比較的早い時期に撮った写真だけど・・・後から見ても、あまりむだなところに気を使わず、のびのびとやってるんだ、・・・・ボクはあの写真が気に入っている。
後で自分で見ても、そういうところの芝居はすごくいい・・動いているところは。それが、座って菊一文字をじっと見ながらしゃべるってのは、とてもやりにくい・・・。」
「風去りぬ」については、
「これは僕の芝居だ!って、ものすごく張切ったわけだ、・・・・・話だって哀しいし。
ただ待っている、それだけの芝居なのに、よく、あれだけの話が成立したものだあなと、結束さんの台本に感心したり・・・」

「菊一文字」の時は静の演技が苦手だと思っていた島田さんも、「風去りぬ」ではただ静かに「その時を待つ」演技を見事に演じています。どちらも「血風録」全編のなかで一度見たら忘れられない作品です。

何度か沖田を演じた彼は、
「「血風録」「燃えよ剣」の沖田総司は、やっぱり原作のイメージを忠実に再現しようと、一所懸命つくってるところがある・・・それも役者として大事だと思うけど・・「俺は用心棒」は、割と自分の生地みたいなところで楽にやれたような気がする。・・この沖田(用心棒の)の方が、はるかにリラックスして演じてる・・どっちがいいとは、一概に言えないと思うが。」
そして、32年前の著書には
「・・・我々の仕事って、「昔、よかった」と言われたら、ぞっとするもんね、何を演っても、沖田のイメージで触わられているみたいで、どうも落ち着かないものなんだ。「沖田総司」が、まあ、いろいろな意味で評価されたことを、忘れたいと思ったこともあるね、正直言ってネ。」とあります。

司馬遼太郎作品結束信二脚本で映像化された「新選組血風録」に出会って、
歴史小説は、歴史的事実と創作としての物語が混在するものであることは誰でも理解しながらも、結束信二の脚本を通しての映像化が、見る者には、それまで無名に近かった栗塚旭や島田順司たちの演じた土方歳三や沖田総司が、あたかも幕末の時代から生き返ったかの錯覚を与え、それは、演じた彼らのその後の人生にも少なからずも影響を与えたことは間違えがない事実のようです。

コメント

_ 恋夜 ― 2009/10/04 00:16

雪サマ~…(ToT)/…「わが青春の沖田総司」…記事の引用ありがとうございます!!
読んでいると,そうだ!そうだ!総司だ!…と,グングン引き込まれていきます。
あ~!!…全部読みた~い!!…また内容について,ご紹介下さいね。

でも,島田さんも,なかなかどうして…初心者のようなフリをしていますが,
かなり裏側で努力研鑽されたはずでしょうに,あまりそれを表に出すことはしないですね。
食欲がなくなるほど,ここ一番の演技に集中されたのでしょう…きっと。
でなきゃ,あんなリアルな沖田は,できませんものね。
ただ,確かに結束脚本は,目に見えるように魅力的な人物像が出来上がっていて,
原作(実在の人物)に合わせたのか,もともと役者に一致していたのか,させたのか,
沖田そのもののイメージが強烈に描かれているので,それを忠実に再現させるべく,
島田さんたちメインの役者さんや脇役・裏方さんに至るまで,
制作サイドとしても総動員で,
それこそ,ものすごい気概と熱情で取り組んでいたのではないかと想像できます。
案外,クールな島田さんの物言いとは,また別な面のほうを想像してしまいます…(^^♪。
島田さんって,「こうやって,こうやって,こんなふうに努力したんだよ~!」みたいな物言いをするのを躊躇う,奥ゆかしい方なのですね。
寧ろ,サラリと出来て当たり前でないと…と,
いつも人一倍,意識されていたのではないでしょうか…そして,そういった俳優としての勘ののようなものは,ドンな栗ちゃまよりも…(栗ちゃまゴメン)
はるかに鋭く,会得するのも速かったのではないでしょうかね~。

本の中で,栗ちゃまに関して何か触れてありませんか?…もしあれば,また読みたいです。

_ 雪之華 ― 2009/10/04 02:38

残念ながら、本の中で栗ちゃまのことは書いてないのです。
ただ、「栗さん、左右田さん、ボクというコンビで・・」と出てくるだけ・・
栗さんと呼んでいた様ですね。

次回は、島田さんが総司について語っている箇所を紹介したいと思います。

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